はてなブログを始めてから、自身の日記のような記事はあまり書いていなかったのですが、少しづつ思っていることを吐き出して生きます。
今日は、
「判断力を磨くのに必要なこと」
として、今自分が取り組んでいることをつらつら書いて生きます。
判断力ってなんだろう
何気に使われてますよね、判断力という言葉。
何か、これがないとできない奴としてレッテルが貼られそうなスキル的な言葉です。
僕がパイロットを目指して航空自衛隊に入隊した頃から、退職した昨年までとても重要な言葉でした。
どうして判断力が重要だったのか。
それは、人の命を奪いもするし、助けもできる分岐点をどちらに進むか選ぶために、重要な言葉でした。
判断力がブレる時
この判断力を使って、数々のことを選択してきました。
多くの方が、自分で判断して自分の道を進んできたのではないですか?
自分で判断していない人もいると思います。
他の人の基準で、自分の人生の選択を行なってきた人もいると思います。
でも、他人の基準を選択するという判断をしているのは間違いないです。
それは、自分の基準が明確ではないから。
そう、自分の基準が明確でない、その時人は自分自身のための判断ができない。
なので、人の言うことに、多くの人の言うことに対して、自分もそっちがいいのかもしれないと思い、自分の選択肢を選ぶ判断をします。
多くの人の意見とは
一般的に世論とか言いますが、もっと簡単に言うと、
世の中
と言う枕詞に置き換わりませんか。
世の中そうなっている、世の中では普通のこと・・・
そんな言葉に多くの人が、自分の選択肢を判断する基準にしていませんか。
実は、僕もそうなっていました。
昨年、自衛隊を退職して働くべき場所を失ってから。
前に進めど、霧が晴れず
平成28年9月に退職して、平成29年7月までの約11ヶ月間
僕は、この判断基準というものを無くしたまま、我武者羅に前進し続けました。
でも、自分の現在地すらわからないような濃い霧に包まれているような感覚から抜け出すことができない日々。
僕のことを客観的に見えている人からは、大丈夫だよという言葉をもらうけども、霧の中にいる自分はそんな人の言葉を信じれるわけがありませんでした。
その時は、ただ目の前にあるものにすがって、目印にして、進み続けました。
そして、その時が来ました。
自分の進む道
ある事故、それはこのブログでも書きましたが長野での防災ヘリの墜落の事故です。
事故がなぜ起きたのかに焦点を当てて、いろんなことを考えているうちに、やはり山岳救助は難しい任務であることを再認識しました。
さらに平行して、全国的にパイロット不足というニュースをよく見るようになり、そこに自分がいなくてはいけないのでは?そんな気持ちになって来ました。
でも、自分がやろうと思って来たことは、パイロットとして現場に戻ることではなく、現場にいなくても多くの人の役に立つことを始める、という思いが強かったです。
自分の選択肢、それを判断するための基準。
その時、自分自身がその基準を持ち合わせていなかったので、どちらを選択するべきか見えませんでした。
でも、立て続けに起こるヘリコプターの事故
なりたくてもなれないレスキューパイロット
自分はなれる、
いや、そこが自分の判断基準を明確にしてくれるところだ。
そう自分で明確に感じました。
終わりに
来年の春、平成30年の春以降、レスキューの現場に戻ることを決めました。
それまでは、自分の判断基準をより明確にする準備期間にしていこうと思います。
判断基準が判断力の大元になる。
その判断基準、自分にとって何を基準にして生きていくのかを明確にするために、
あえて判断して選択することをせずに
感じるがままに自分を見つめ直して見る。
それが、判断力を磨くことに。