- 陸上自衛隊、女性戦闘ヘリパイロット養成
- そもそも、女性自衛官はどのくらいいるの?
- 航空自衛隊の女性パイロット
- 女性パイロットの活躍の場
- 戦闘機パイロットに思うこと
- これからの時代に必要な考え方
- まとめ
陸上自衛隊、女性戦闘ヘリパイロット養成
平成29年5月3日(水)の産経新聞にこのような見出しと、カラーの写真が載ってました。
年齢は、僕らと同世代の輸送ヘリパイロットみたいですね。
彼女が、コブラ(AH-1)の機動性を遺憾なく発揮できるかどうか、それはわかりません。まずは、無事に機種転換訓練を終えて現場で活躍して欲しいですね。
今回のニュース、
・ようやくここまで来たのか、
と思う人もいれば
・女性を戦闘機(ヘリ)に乗せてはいけない!
と思っている人もいます。
今回は、僕の入隊時期から始まった、自衛隊女性パイロットについて思うところを、みなさんにお話ししていこうと思います。
そもそも、女性自衛官はどのくらいいるの?
そうなんです、そこ重要ですよね。各自衛隊の女性が占める割合は、「消費税と同等」と覚えてもらえればいいです。
ただ、この法則は7パーセントに増税されてからはズレが生じてきて、現在は6%くらいとのことです。僕が入隊した頃から平成20年くらいまでは5%でした。
それほど多くないと思うか、多いと見るかは、自衛隊という職場をどう見るかによって変わってきますね。
航空自衛隊の女性パイロット
僕が入隊した頃の時代背景
今と違って、僕たちの世代までは第2次ベビーブーム世代と言われていて、子供の数がなにせ多い!
小学校も児童数が増えるにつれて、新しい学校を新設していった時代。僕の小学校も開校5年目の新しい学校でした。当時は、開校5年毎にお祝いをしていて、紅白饅頭を入学2年目と卒業時に戴いた思い出があります。良い時代でした〜
そんな幸せ過ごしていた時代、みなさんご存知の通りバブル景気が弾け(未だにどう弾けたのか実感はありません)就職難の時代へと入って行きました。
と、言ってもバブル期に比べたらという意味でした。でも、就職に有利な大学へ進学したいと思う生徒が多くいたので、今と比べると大学受験で結構苦労していたと思います。
という僕も、宇宙に憧れる高校生でしたので、航空宇宙工学などがある大学に行きたかったのですが、なかなか、僕の偏差値が足りないのと、地元以外の私大に行くとなると金銭面で厳しかったです。(僕の地元は北海道)
当時、大学を出ても就職先で自分のやりたいことが見つからない人が多くいたと思います。
平成5年(1993年)入隊
僕が航空学生として航空自衛隊に入隊した直後、来年度から女性の航空学生が採用されると聞きました。
正直、とても過酷な日々でしたので、女性が入隊してやっていけるのか?って思うだけでした。同期の中では、女性なんていらない!っていう考えもあったことは事実です。まぁ、そんな考えが男性社会では一般的でしたし、女性の中でも好き好んで自衛隊のパイロットになりたい人が多くいたわけでもありませんでした。
ただ、女性でも自衛隊のパイロットになりたい!と、思い始める時代ではあったと思います。
それは、航空自衛隊の輸送機がPKOで海外に派遣されるシーンをテレビでよく見るようになったことも、その要因の一つであったと思います。
また、全国各地で行われている、「航空祭」での戦闘機やブルーインパルスのフライトをみて、希望して来た人も多くいたようです。
フライトスーツの色
余談ですが、入隊直前の航空ファンという雑誌にフライトスーツの色がオレンジから緑に変更されることを知り、少しだけ残念な気がしました。当時、パイロットといえばオレンジのスーツだったからです!同期の中では、体型が大きいか小さい人は、在庫が残っていてオレンジを支給されていました。
ですので、女性でオレンジを着ている人は航空自衛隊にはいませんでした。海上自衛隊は、オレンジからODへの移行が少し遅かったので、おそらく女性パイロット候補生でオレンジを着ていた人がいたのではないかと思います。海上自衛隊の方でこれを読まれている方がいましたら、ぜひ、コメントお願いします!
航空自衛隊、初の女性パイロットは・・・・
実は、女性のパイロット候補生は航空学生(平成6年入隊)が初めてにはならず、同時期に一般大学卒業枠から入隊された方が、初のパイロット候補生だったんです。
平成6年に幹部候補生として入隊された、Tさんです。一般大学を卒業後に幹部候補生として、奈良にある航空自衛隊幹部候補生学校を1年で卒業し、平成7年からパイロット候補生として訓練を開始しました。
僕も平成7年から飛行訓練を開始しているので、同時期に同じ基地で訓練を受けていたので、よく覚えているんですよ。
先ほど紹介した、初の女性航空学生は平成8年から飛行訓練開始しています。
女性パイロットの活躍の場
当初は、輸送機と救難機(救助ヘリを除く)にのみ門戸が解放されました。のちに、女性パイロット教官が誕生して行きましたので、訓練機にも多くの女性パイロットが活躍するようになりました。
本音と建前
なぜ、女性パイロットが戦闘機や救助ヘリコプターに乗れないの?
これは、リンク先の記事にも一部記載してあります。が、正直いうと表の理由と裏の理由があるのではないかと思っています。
現場目線と管理者側目線と言っていいかもしれません。
軍隊、自衛隊もある程度、上級司令部に行くと、仕事の内容にはお役所仕事的な政治的配慮を求められることになります。要するに管理者目線で仕事をしなくてはならないんですね。
なぜか?
建前
それは、防衛省(当時、防衛庁)に属する自衛官は、特別職国家公務員だからです。航空自衛隊だけで物事が決まるわけではなく、最終的には防衛大臣(長官)まで報告されることが多いのですね。
そして、予算や新規案件で目立つもの(今回の女性登用)は、国会での質問も起こりうるので、政治の場でお答えできるような『論理的な回答』を用意しなくてはならないと推察します。
本音
当時の時代背景
でも、実際のところ、現場では違うことを感じていたと思います。
というのも、当時の時代背景から考えてもらうとわかるのですが、僕たちがパイロット候補生になった頃に、物事を決める立場にあったパイロットは40−50歳です。
昭和の男達です。
この昭和の男達が生きていた時代は、女性の社会進出が盛んになり始めた時代でした。
データーは提示できないのですが、このころは女性の社会進出も多かったのですが、現在と比べて、結婚して退職する人も多くいたのも事実なんです。それは、女性に厳しい労働状況だったり、昇任制度が未整備でいつまでたっても自分のやりたい仕事ができないことも影響していたことも影響していたと思います。
それが変化し始めたのが、昭和60年(1985年)の男女雇用機会均等法の成立です。
なにせ、法律で決まったのですから官公庁の一つである、防衛庁(当時)も取り組まなければいけません。
で、パイロットという当時の聖域にもメスが入れられたと思います。(推測)
現場の本音
というところで、女性が社会進出しても結婚で退職、または、妊娠出産で休職となると、男達は何を考えるというと、いつ辞めるかわからない女性が現場に来ると、現場を支えるパイロット(男性)が大変!自分たちの負担が大きくなる!シフトが回らなくなる!などなどの反発が起こったことが推測できます。
実際、僕は救難隊で救助ヘリに乗っていましたが、一つの部隊に配属されるパイロットの数は意外に少なく、誰かが突発的にいなくなると、その代わりをするのがとても大変でした。最終的な説明がどのようにされているかはわかりませんが、現在も女性救助ヘリパイロットが存在していません。
実際問題、女性パイロットの中には、一人前になったなーって思ってた30歳くらいに退職するという女性パイロットも多くいました。男性パイロットも退職する人もいるのですが、比率的に目立ってしまうんですよね。
あと、個人的に救助ヘリに女性が来ない方がいいと思う理由があります。それは、救助ヘリの場合は、救助のために救難員(メディック)を海や山の救助現場に下ろすんです。一度下ろしたら、無事に救助しなくてはならない。つまり、命を託されているんです、屈強な救難員の・・・・命。
戦闘機パイロットに思うこと
救助ヘリコプターと違い、戦闘ヘリや戦闘機は直接的に相手(敵勢力)の戦闘力を奪うことを前提としています。時には、命を奪うことも命令で実行しなくてはならなくなります。
僕は、身体的能力や男女の機会均等ということではなく、女性の母性というものがこのことに耐えられるのかどうか疑問です。
でも、女性もいろいろな女性がいるので、一概にこんな不安を持つ必要はないのではないかとも思います。つまり、女性という性を考えなければ、能力的には女性の方が優秀な人が多いのですから。
これからの時代に必要な考え方
現在社会では、様々なストレスが原因で精神的に落ち込む方が多かったり、自殺される方も多くいます。ですので、女性パイロットの社会進出に伴い、男女問わず、年齢問わず身につけてほしいこと。
それは、
物事の捉え方を柔軟にできるようになること
です。
レジリエンスだけではなく、様々な考え方で取り入れられているこの考え方。
女性の社会進出に関して、従来の考え方による、いわゆる「常識」で物事を捉えることをせず、その物事を自分の常識の外側から、どう捉えることができるか。
女性は、〇〇だ。
自分の中で、少なからずこんな考え方を持っている人は多いと思います。
今回の女性パイロットの戦闘機、戦闘ヘリへの門戸解放も、その常識の外側から考えてみてほしいと思います。
例えば、
性別的には女性だけど、男性と同等の体力を持っており、そんな女性にチャンスがひらがった!
なんて捉えると、前向きに応援したくなりますよね!
まとめ
僕が現役時代に、航空自衛隊の戦闘機パイロットも女性へ門戸を開放すると聞いていました。
実は、女子の3期目に当たる試験を受けた女性(高校生)の中には、戦闘機パイロットになりたい、とインタビューに答えている人がいました。残念ながら、その方は試験に合格できなかったので、その思いを実現できませんでした。
今後、女性の活躍の場が増えていくことには賛成ですが、やはり、周りのサポートが必要だと思います。
僕は、今新しいライフスタイルを模索中で、家庭のことをしながら仕事をしていこうと思っています。
そう思った時に、支えてくれるのは妻や友人である良き理解者です。
どうせ無理、やっても無駄、なんておもわずに、人間の可能性と能力を信じて生きていきたいと思っています。